アフリカとの出会い40
 「何を待っているの?」
   

竹田悦子 アフリカンコネクション
 いつもの様にナイロビでの仕事を終えて、マタツという乗り合いバスに乗って40分。いつもの場所で降りて、いつもの様に自分の家までの道を歩いていた。

 私がケニアで生活していた時に住んでいたのは、コンクリート2階建てアパート。その2階の端に私の部屋はあった。ナイロビ市内よりもっとケニアの普通の人が住む、外国人の居ない場所で、ファミリーで住んでいいる人たちが多く、比較的安全という理由でこのmulolongo(ムロロンゴ)という新しく出来た町に住んでいた。家賃は月2000円、電気と水道は別料金。この辺りの相場は月500~1000円くらいですから、それと比べるとかなり高く、公務員や教師といった定職に就いている人が多く住んでいた。

 ちなみに「ムロロンゴ」とは、「長い」という意味のスワヒリ語。何が長いかと言えば、ここは南アフリカからまっすぐに伸びる幹線道路がナイロビに向かって続いている場所で、そもそもは物流に携わる長距離ドライバーが休んでいく町として始まったとされている。トラックや車が、休憩する為に路上駐車している光景をよく見かける。その光景を人々が、「車の長い列」と言う意味で、「ムロロンゴ」と名づけたようだ。

 ナイロビから車で40分ほど、空港までは20分という場所で、ナイロビで働く人たちのベッドタウンとして少しずつ栄えてきた町だ。多民族国家であるケニアを象徴するかのように、いろいろな民族が集まり、小さな町となっていった。まさに、普通のケニア人が、普通に生活している場所だった。

 そんないつもの道を歩いていると、私の住むアパートのすぐ横のお店に人だかりが出来ていた。近づいてみると、煙が立ち込め、反対側から火が出ている。「火事!」と人が叫んでいるものの、慌てている人がいない。私の部屋は賃貸とはいえ、貴重品などを部屋に置いてある。「誰か消防車を!電話した?」と周りの人に訊いてみる。1人、2人、3人と訊いてゆくが、誰も電話していない。「何で電話しないの?」と訊くと、「しても何時来るか分からないし、電話代が無駄」と言う。そして、みんな見ているだけの時間が続く。

 そうこうしていると火はますます大きくなる。煙もすごい。私はもらい火を心配する。

 「消防車を呼んでないなら、みんなどうして消化活動しないの?」

 私は叫ぶ。

 「燃えるものが無くなったら火は自然に消えるよ」

 「隣は、君が住んでいるアパートだけど、あそこはコンクリートだから燃え移らないよ。高さも違うし。隙間もあるし。ほら、風向きも違うだろ」

 そしてよくよく眺めていると、燃えているお店から、家財道具が搬出されている。イスやテーブル、調理器具など。そしてすばやくトラックに積んでいる。やっぱりお店の人は、見ているだけではなかったのだ。

 すると後ろから「泥棒!」と叫んでいる人がいる。燃え盛る店からモノを運んでいたのは、実はお店の人ではなくて泥棒なのだ。火事を偶然見つけた泥棒は、すぐさまトラックを横付けし、荷物を勇敢にも出して、積み込んでいく。それを知るケニア人は、大きな火事の時は、店から荷物を出さない。出しても泥棒に持っていかれるのが落ちなのだ。ならば、燃えてしまったほうがいいと、考えるのだろうか?

 消防車も来ない、荷物を運び出す人も無く、運び出された荷物は泥棒に持って行かれてしまう。風向きや周りの建物の状況をよんで、自然に鎮火するのを待つ。火事で慌てているのはまさに、私だけなのだ。

 正確な数は分からないが、救急車や消防車などの緊急車両は、各州に数台は配置されているそうだ。しかし2年ほどケニアに いたが、緊急車両が出動しているのを私は見たことがない。火事でも、泥棒でも、人々は「まず自分で何とかする」のが常のようだ。日本人の私はアフリカにいても「まず電話をして助けを呼ぶ」ことを考える。この精神構造の違いは大きい。だから目の前で何かが起こっても、私はすぐには行動できない。誰かがなんとかしてくれるのを待ってしまう。しかし、もともと何も呼んでなく、だからもちろん何も来るはずがない。

 そういう緊急の場面で、ケニア人によく言われる。「何を待ってるの?」と。
 
 火事の現場や、鞄をひったくられたり、交通事故の現場に遭遇したり、ナイロビ大学の学生デモに遭遇したり、車が故障したり、水が出なくなったり、いろいろな事故・事件に遭遇したが、誰も呼んでいないので、警察や救急車が来たり、助けてくれる人が何処からか来るということはない。

 それぞれの場面で、そこに居合わせた人が協力して、解決していく。もちろん泥棒も出るし、逆効果なことをする人も出てくる。しかしそこで見た人々の様子は、政府や人に頼らず、それぞれが持てる力を出し合って協力しようする「自ら解決しようとする力」だと思う。

 その地域の教会ではよくこんな張り紙をしてあった。「First Aid Learning Program」(応急処置訓練プログラム)。ケニア国内にある赤十字社が、応急処置の講師を派遣していて、いざと言うときの為の訓練をするというものだ。週末ごとに教会単位で行われていた。これは無料ではなく、200円ほどの受講料を払うのだがいつも定員が一杯だった。

 私もキャンセル待ちのリストに名前を書いておいたのだが、ある日の日曜日、訓練を受けることになった。老若男女の参加者10名。朝から夕方まで、応急処置の理論から実践まできっちり学ぶ。包帯の巻き方、人工呼吸の仕方、担架の運び方、止血の方法を実践しながら学んでいく。それぞれの段階で、テストがあって全員が出来ないと次に進めない。

 私はどうしても人形を使った人工呼吸が出来なくて、何度息を吹きかけても人形のおなかは膨れなかった。すると先生は、「で は、みなさんで彼女が人工呼吸が出来るよう教えてあげてください」といい、どこかへ消えてしまった。そして参加者の10名がみんなで、私1人の為に手取り足取り教えてくれた。その熱心なこと。10分ほどして、先生が現れ、「さあ、みなさんは上手に教えられましたか?」 そして私のテストが始まり、無事合格した。みんなも自分のことのように喜んでくれた。ケニア人は、個人主義のようにも見えるのだが、いざというときはこうして、協力するのである。


 最後のテストは、実際の災害を想定し、怪我人と助ける人を分ける。時間内に怪我人を救出し、応急処置をするというものだ。みんな真剣そのもので取り組んでいた。一日の訓練は全員合格で終了した。終了証書を貰い、この地域に何かあったときは私たちが率先してやろうと、誓い合った。

 私も何かを待つのはもう止めて、「まず自分でもやってみようとする」姿勢を見習いたいと思った。


       → 講習後に貰った応急処置訓練終了の証明書




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